2014年10月30日木曜日

北大法学会に出席しました。

10月24日に北大法学会(北大公法研究会共催)で開催れた講演会に出席しました。

講演者は、藤田宙靖前最高裁判所判事(日本学士院会員、東北大学名誉教授)です。
藤田先生は、学者出身の最高裁判事として7年半務められました(藤田先生のお師匠様の田中二郎先生も最高裁判事を務められましたね。)。

講演タイトルは、「司法の使命と役割・学説の使命と役割」です。

藤田先生といえば、『新版 行政法Ⅰ(総論)』や『行政法入門』などの教科書が有名で定評があります。
どちらも素晴らしい教科書です。

藤田先生は、第三小法廷にいらしたので、
行政訴訟では、病院開設中止勧告事件などをはじめとして、
税務訴訟でも、ストックオプション課税事件やオウブンシャホールディング事件などをはじめとして、
多くの訴訟で判事を務められています。

さて、講演内容は、最高裁判所裁判官ご経験者としてのお立場から法学者や法学(学説)の役割をややシニカルにかつ軽妙に述べておられました。
安念教授の論説を引いて、「法律学とは、所詮「暇潰しの芸能」であるにすぎない」というのは強烈でしたが、

「裁判官は、法解釈学説が無くとも、裁判をして行くことができるのであ(る)、・・・・・・しかし、そこで用いられる「法の言葉」において(言葉を換えて言えば、判断が行われる「言語空間」において)、上記に述べたような意味においてより優れた表現を、学者の言説の中に見出すこともまた可能であるであろうし、そこに自らの判断の支えを見出すこともまた可能なはずである。学者は、このような裁判実務における自らの立ち位置を十分に弁えた上で、その言語表現能力を磨くべきであろうし、また、裁判官は、このような表現に接することに努めることによって、その表現の質を上げることを図るべきである。」
と述べておられました。

裁判は、裁判官の良識にかかるものであり、その良識が「法の言葉(法律用語という意味ではない)」によって語られる。その共通言語たる「法の言葉」の質を向上させ、裁判官の眼差しをより豊かなものにするものとして、(「裁判実務と学説」という意味においては、)学説は存在しているのだ、というように受け止めました。
こうした部分が特に印象深かったです。

税務の世界では、まだまだ、「法の言葉」が共通言語たり得ず、「言語空間」が十分には形成されていないように思います。
先人たちが築いてきた「法の言葉」を頼りに税務における法律の素養を養いたいと思います。

(左:北大法学研究棟前。紅葉がきれいです。右:藤田先生のご著書『最高裁回顧録』。)

0 件のコメント:

コメントを投稿